東音坂田舞子の長唄三味線ブログ

長唄三味線演奏家、東音坂田舞子のブログです。 群馬安中市生まれ、さいたま育ち。浅草、北浦和、春日部の三ヶ所でお稽古場を開いています。日々の活動のほか美味しいもの、飼い猫のことが少々のブログです。

藝大の思い出 学生のあいだは学外の色んなところで同級生と弾いたり、コラボしたり、洋楽や美術の仲間たちとオリジナルミュージカルや奏楽堂企画2008に参加したりして、演奏活動を盛んにしていました。 邦楽科には 『一年生は学外の演奏活動をする場合大 ...

藝大の思い出 私が藝大にいるあいだに、校舎が大改造されていきました。 三味線のレッスン部屋のある1号館3階はまず、古くて暗くて花子さんが出てきそうなトイレが綺麗になりました。(いきなりトイレの話ですみません) このトイレ、度々不審者 ...

  藝大の思い出 食堂『キャッスル』は、大好きな場所でした ご飯が美味しいのはもちろん、 同級生とたむろったり 悩みを打ち明けたり 学生みんなで先生を囲んで藝談を伺ったり 居場所がないときに来て時間を潰したり キャッスルでの思い出全て青春で ...

藝大の思い出 藝大の醍醐味と言えば『藝祭』 毎年9月の第1金土日曜日にあります。 この時大学は夏休み中ですが、 学生は藝祭の準備にほぼ毎日大学に通います。 藝祭の名物はやっぱりお神輿! 美術と音楽の一年生が組んでお神輿をつくるこ ...

藝大の思い出 学生時代の演奏試験は 年に2回勉強会(合奏)と、 学年末に実技試験(一人で弾く)がありました。 勉強会は学年ごとに1曲ずつ演奏し、一人一人に評価をいただきます。 これがとにかく緊張するんですよね… 私のときは能楽専 ...

  藝大の思い出 藝大は楽しかったですが、辛いこともたくさんありました。 そのひとつが楽器のことでした。 私が高校2年生のときに母が今の父と再婚しましたが、新しい父が藝大に行くことに大反対だったので、学費は払ってもらえても、舞台用の楽 ...

藝大の思い出 藝大に入ったらまず揃えなければいけないもの ・黒紋付の着物(単衣と絽。袷も購入できればよいが、とりあえず単衣があればOK) ・紺の袴(男子は縞の地味な袴) ・羽織または道行(学生は道行のほうが便利かな) ・舞台用の楽器一揃い(女 ...

藝大での思い出 私が入学したてのころは 上野公園が今みたいにおしゃれで綺麗ではなくて、大学の前にホームレスの人の小屋がたくさん建っていて、夜は真っ暗で怖かったです。 同級生は持っていたパンを見られ 『そのパンくれよ』とホームレスの人に言われた ...

今回は受験のときについて書いていきます。 私の母校東京藝術大学音楽学部邦楽科は、 三味線音楽(長唄、常磐津、清元)、邦楽囃子、日本舞踊、箏曲、尺八、能楽、能楽囃子、雅楽の専攻があります。(全部合わせて一学年25名の定員) 私は『長唄三味線』 ...

中学校3年生の全国大会は、残念ながら予選落ちでした。悔しかったですが、高校でも陸上を続けるつもりでした。 進学は埼玉栄の特待生の話があったのですが 陸上が嫌いだった母が許さず、陸上をやるならと条件を出され母の出身校に入れられました。 群馬 ...

三味線のお稽古はとても厳しいものでした。 師匠は子どもにも容赦のないご指導でした。 調弦ができないと合うまでやらされたり お稽古は絶対暗譜でしたので、前回のお稽古したところまでは覚えてこないと怒られ、 先生が弾いているのを見て同じように弾けないとお ...

中学校に入ると、足の速さを生かしたいと思い陸上部に入部しました。 私の母校の陸上部は当時 県や全国の歴代記録を持っているほどの強豪校で(公立です)、浦和市の大会では何年も連続で総合優勝する強い学校でした。(入ってから知りました) そんなだっ ...

習い事をこんなにやっていたと言うと さぞやお嬢様なんだろうと思われますが まったく、そんな身分ではありませんでした。 母子家庭でしたし、どちらかというと貧乏を経験しています。 母がそういう人で、母方の祖父母の理解もあったので、運良く習い事をたくさ ...

急に生い立ちから話し始めました。 『思い出』を話すと言っておいて、今までの人生を語り始めました。 最近、数名新しい生徒さんが入ってきてくださって、興味を持って私のことを色々聞いてくださるので…なんだか話したくなり。 気長にお付き合いください。 ...

私が産まれたのは群馬県安中市でした。 母方の祖父が産婦人科医だったので、祖父に取り上げてもらいました。 実家でそのまま産めるって最高ですよね。 黄疸で保育器に入れられたそうです。 年がバレますが 1986年7月25日生まれ。 7月25日の出来事を調べると ...

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